4月14日の発災からちょうど2か月目の今日、日帰りではありましたが熊本県に視察に行ってきました。熊本空港上空からはブルーシートの屋根が一面に。地元の方の案内で益城村、宇土市役所、熊本城、西原村を訪ねました。(www.facebook.com/media/set/?set=a.633480486818424.1073741831.286961748136968&type=1&l=83a86432e4に写真をアップいたしました。)
※益城
4月14日の震源地となった益城村へ。想像を絶する風景に絶句でした。今回の震災で被災された方の約2割程度しか地震保険に入っていなかった、普段の防災訓練も阿蘇山の噴火や洪水・山崩れ等を想定したものだったとのこと。既に建物判定の紙があちらこちらに貼られていました。
※宇土市役所
周辺の建物はほとんど被害がないのに、この庁舎のみ無残ともいうほど酷い状態。建物の構造上の問題と考えられます。幸いにも人的被害がなかったものの、初動が肝心の災害対応の拠点となる市庁舎が機能しなくなるのはやはり痛手が大きかったと予想できます。
※熊本市内・熊本城
現在熊本市内のホテルは保険関係や震災復興の関係者で一杯だとか。観光は大打撃ですが、少しでも熊本に来るきっかけを作ってほしいとの発想で、期間限定で「今しかみられない」震災の被害を公開しています。是非、修復に50年かかると言われている熊本城を見に足を運んでいただきたいと思います。熊本城敷地内にある加藤清正由来の加藤神社本殿は奇跡的に被害がなく、崩れた神社石垣から観音様が掘られた石が現れました。400年間石垣の中で眠っていて、地震がなければ見れなかったと、「負」の自身を「プラス」にできるとして復興のシンボルにしたいとしていました。昼食は熊本ラーメン「こむらさき」で。
※西原村
益城村に隣接する西原村へ。西原村では5名の方が亡くなり、村の6割が全半壊と大きな被害を受けました。まずは現在通行止めになっている、南阿蘇に抜ける「くわずる大橋」に。橋の手前の道路は道は横に引っ張られ、かつ隆起したり沈下したり地震のすごさを物語っていました。周りの緑と鳥の声や自然は何事もなかったようで本当に美しく、震災が嘘のよう。最後に避難所となっている山小小学校へ。まだ170名ほどが体育館で避難生活をされています。偶然にも昨日から炊き出しで来ていた石原軍団+きむたくが!?(避難所の方のみとの交流)。避難所内は仕切りやコミュニケーションの工夫がされていました。すでに仮設住宅が300個ほど整備されまもなく入居ができるようです。2か月がたち避難所生活だけでなく、自宅に戻れてた方々も片付けなどで疲労困憊かと。自宅に戻ると避難所の物資の配布が受けられなくなったりが理由で村の担当職員の方とぎっくしゃくするなどの様子が見られました。村の担当者も被災者の方々もみんなのためにという気持ちは同じなのですが….引続き皆様の体だけでなく心のケアも大切だと実感しました。 今回ご案内いただいた曽我さんはご自宅も被災されていますが、今回の震災のお話を多角的に色々聞くことができました。特に印象的だったのは前震の後のいわゆる本震の凄さです。震度7と言われていますが、震度7に始まって 次々に震度4から6までの自身が断続的に起こり、20分程度ずっと揺れていたそうです。その結果前震では無事だった家々が倒壊。プロパンガスの栓が変形し、ガス漏れが発生する中、村の消防団の人が村中をライターなどの火を使わないこと。いわゆる通電火災を防ぐためブレーカーを落とすよう声をかけて回ったことで火災が起こらなかったそうです。また、避難所を運営するにあたり最初の2週間程でコミュニティの人のみで体制を作ってからボランティアの受け入れをしたことが結果的にはよかった等々。短い時間でしたが百聞は一見に如かず。地元の様子や声等を肌で感じ、色々なお話も伺うことができ、当然都心での震災とは違いますが、大変勉強になりました。まだまだ復興には道のりが長い、引き続き皆さんと応援せねばという思いで帰京しました。